2012年2月22日水曜日

はじめに

子供は、言葉を早く覚えます。
人がしゃべっているのを聞いているだけで、
子供は精確な発音ができるようになってしまいます。


ところが、大人はそうはいきません。
ぼくは日本語を教えた経験があるのですが
歳をとるほど新しい言葉は覚えにくく
発音も学びにくくなります。


つまり、子供の方が大人より優れているんです。
ちょっときつい言い方になりますが、大人になると
いったん覚えてしまったことが固定化してしまって
新しいことを学んだりすることが難しくなります。


言葉だけでなく、ものの見方や考え方もそうです。
一端身についた思考法や価値観を変えることは難しい。
子供のときには、少しずつ変えていっていたはずなのに。


同じことを別の言葉で言い換えてみましょう。
子供の時にはいろんな可能性をもっていたのに
大人になるとそれが選択されてきて、少なくなる。


子供の時には、無数の言語、無数の思考、無数の人生
それが可能だったのに、大人になるとそれぞれ
一つしかもてなくなっている、そういうことです。



けれど、こういった言い方には少し違和感を覚えることでしょう。
「大人になった今の方が、いろいろものを知っているし
子供のときなんかより圧倒的に豊かだ」
そう言いたい方もいるでしょう。



そのとおりです。


大人は無限の可能性の代わりに、具体的な人生をもっています。
それはもしかしたら、単なる可能性より豊かなものかもしれない。


でももし、大人の具体的豊かさと、子供の潜在的な可能性を
どちらも手にすることが出来たら・・・


もしも、大人になったいま持っている知識や能力を
その豊かさを保ったまま、
子供の時のなんでもありの可能性に
もう一度還元することができたら・・・


いまある有形のものを、無定型のかたまりに戻すように
シャッフルしてみたらどうなるか・・・


大人は子供の時に持っていた可能性を形にしているのですが
それをいったんバラバラにして卵のなかにつめこんでみる。

すると、なにがでてくるかは分からないものの、
そこにはいっているのはただの可能性ではなくて、
具体性と豊かさを備えたある未知のものになるわけです。

といっても、それはできあがったものではなくて、
まだなんだか分からない不完全なものです。
それはなんでもないものではなく、ディティールがある。
でも、それがどうつながりどう機能するのかは分からない。


もしも、大人になったいまでもそんな状態になることができたら・・・

ちょっと(というか、かなり)変なたとえですが、
そう考えただけでも、わくわくしてきませんか?

このブログは、そういう状態になるように
手助けをするためのものです。


なぜなら、
ぼくの考えるところでは、
それが哲学というものだからです。

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